先週の日曜日、京都に行って来ました。

大学時代を過ごしていたので年に5回は訪れるのですが、今回は大学の時に介護のボランティアで日常生活のお手伝いをしていた方が亡くなられたので、お参りにというのが最大の目的でした。
彼は森永のヒ素ミルク事件により幼い頃に脳性麻痺を起こし四肢と発声に障害を負ってしまったのですが、障害者の劇団「劇団態変」に役者として参加するなど活発に活動をしていました。
その生活は、支援団体やデイサービスなどの専門職の方だけでなく、周囲の大学の学生ボランティアによっても支えられていました。彼が今年56歳で亡くなり ましたが、年代的に脳性まひ者の生活を閉鎖された施設から解放するための運動が盛んだったことがあって長い間「一人暮らし」ができる状態を保っていまし た。

それでも僕達が関わっていた頃は障害者への無関心、というか一般の生活と同じように生きることへの理解が少なくなってきていたのを感じていました。僕自身、住んでいた寮での人のつながりがなければ関わることはなかったと思います。

そんな中で、食事介護や体調の急変に対応するために週に一度、彼の部屋で泊まる生活をあわせて1年半ぐらいやっていました。
当たり前の生活を送るためには非常に労力がかかる。でもしんどいけれど、なぜ同じような生活が簡単にいかないのかということを常にもやもやと考えていました。

「劇団態変」の芝居の手伝いもさせてもらったことがあるのですが、芝居というよりは舞踏であり、言葉はないのだけれど非常に衝撃的でした。
「障害者の身体は面白い」ということを、彼らは堂々というために日頃乗せられている車椅子や杖を外し、床を転がり跳ねながらそれぞれに表現します。「障害 者の身体は面白い」と彼ら自身が思っているからこそ、表現の中に生きていく意味が生まれるのです。そこにはヘラヘラ笑って片付けられない凄みがありまし た。
さらに、いわゆる健常者は日常的に規律によって身体の動きにロックを掛けられた部分が多いと思うのだけど、それが思いっきりアンロックな感じ、思いもよらない自由な動きをします。
不自由だからこそ生まれる自由。僕も芝居をしていたので自分の身体がままならないことに苛立つことも多かったのですが、その原因は身体に染み付いた「普段のしぐさ」のせいなのだとハッと気付かされました。
その自由で激しい動きの中に、表現をしたいという根本的な欲求を感じたことがあったからこそ、僕は大変でも介護に関われたのだと思っています。

部屋の中に簡単な祭壇があり、そこにアルバムが何冊か置いてありました。彼の顔はシャッターチャンスには間に合わないというか、気にするそぶりもない写真 がほとんど全部ななか、数少ないカメラを向いた写真の眼光の眩しさは尋常じゃありません。彼の身体の中で一番物を言ったのが眼であり、常に全身を使いなが ら、眼はこっちを見て意思を伝えようとしてくれたことを思い出しました。

彼の激しい情動を忘れずにいたいと思いました。お参りできて本当に良かった。

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