おととい、「桐島、部活やめるってよ」を見てきた。

いろんな登場人物に共感できるように丁寧に撮ってあるけれど、
僕が一番共感したのは神木隆之介くんの演じた映画部だ。
映画と演劇という違いはあるけれど実際に立っていたポジションが似ていたので、授業中コンテを切っている感じとか、練習場所に困っておろおろするところとか、もう、ヤバかった!あの部室の狭さ!!サイッコーだよ。
主役であるということを抜きにしてもズキッと来た。
気を抜くと自分の思い出が映像として映画を補強しだすんだよね。これはズルい、外国でこの映画が受ければ本物だと感じるけれど、僕には客観視できない作品であることは言えます。

あの映画を見て感じたことは、映画の中身とは関係無いかもしれないけれど、高校の頃は学校の規則なり、法的に禁じられていることなり、非常に沢山の戒めに囲まれて生きてきたんだよなーということ。面倒くさいこと多かったな。僕は他の高校生に比べても結構ちゃんと守ってた方だとおもうけど(芝居の打ち上げで友だちの家に泊まって酒を飲んでたぐらい)(年に1回だよ)、もう息が苦しくて苦しくてたまんなかった。
それに比べたら今はとても自由、だけど、なんというか、あの戒律の中で生きていた時間のほうが自分の思うものに対して集中できていたよなということも感じた。
大学に入ってから、常識という超えてはいけないラインを超えてみることを教えてもらい、実際に自ら身を投じるようにして生きることを選択してきた部分はある。ただ、自由になることで失敗したり迷走したりしたのも20代の経験なんだよね。その体験の中から、30にしてもう一度自分なりの戒律を作って生きる必要があるんじゃないかな、という思いが湧いてきたのがとても嬉しい体験だった。いいタイミングで見られた。

真面目なことを書いたけど、あと大事なこととして「高校生プレイ」のことを書かないと。
作品の中で、映画部が顧問の教師から「高校生らしい」脚本を押し付けられている部分があって、そこに感じ入るところがあった。
ああいう高校生らしさを出して行かないとって、いうヤツ多かったよなあ。
僕が高校のころはルーズソックスがようやく福岡の外れにもやってきた頃なので、ちょっとワルな娘の記号として使われたりして。そんなのでは表せない、おれたちが感じているものを出したくってアンバランスな創作脚本つくって没くらったり、してました。
だからあのゾンビ映画、分かる。分かるよ。
それとは別に、この映画の中で役者の人たちはキャラを立てつつもナチュラルに高校生を演じていて、こういう自然な感じが上手に出せるようになったのって最近のことなのかなと考えた。10年ぐらいしか変わらないけれど、中高生あたりで自分を客観視することがとてもうまくなってきてるんじゃないかなと思う。高校演劇でもその日常感をきちんと舞台の上にあげられる学校が、実際に増えてきている感じもここ数年していたので、その流れがこういう映画として形になってるんだなと思って、本当にすごいと思う。

僕は私立の男子校に通っていたから、公立の感じは雰囲気でしか分からない。
だからこそ、「桐島」みたいなスーパースターは公立にいるんだという幻想をずっと持っていたよね。私立だとなかなか文武両道とはいかない、一芸のとんがった人が集まる空気があるのと対の意味で。部活サボっただけであんなに人を惑わせてしまう、あんな非の打ち所がないカッコいい男に劣等感を抱かせてしまう人間だよな。僕が幻想を持っている分、ちょっと大げさに思うところもあったけれど、描写の中できちんと説得された感じがあったのは良かった。

コメントを残す